榎並摂子さん(通称せーにゃ)のオープンチャット第1回のゲストとして参加させていただく機会がありました。そのときの内容をせーにゃが天才的な文章力でまとめてくれました。私のことを改めて知っていただければと思い、ここに紹介させていただきます!
※せーにゃの文はここで読めます! そらのあい | こころとからだとすぴりっと
山田匠先生が教えてくれた「人を信じる」ということ
2026年9月19日(土)21:00〜
射手座♐️上弦の月🌓を迎え、月が山羊座に移動した夜
《そらのあい》オープンチャットに、山田匠先生、通称「たくちゃん」をお迎えして、ライブトークを開催しました。
お話を聴きながら、わたしの心に何度も浮かんできた言葉があります。
人は、誰かに信じてもらうことで、自分を信じられるようになるのかもしれない。
そして、自分を信じられるようになった人は、今度は誰かを信じる人になっていく。
たくちゃんのお話は、そんな「信じることのバトン」をめぐる物語でした。
「カラダがこわれるまでがんばります」
たくちゃんは、教員としての歩みの中で、さまざまな困難を経験されてきました。
初めて赴任したのは、校内をバイクが走るほど荒れた学校。
なんとかしなければ。
自分ががんばらなければ。
そんな思いから、心も体も限界まで追い込んでしまったことがあったそうです。
「カラダがこわれるまでがんばります」
そう言っていた当時の自分を振り返り、たくちゃんは、自分で勝手に十字架を背負っていたのだと語ってくださいました。
一生懸命であることは、決して悪いことではありません。
でも、いつの間にか「自分がなんとかしなければ」と、ひとりで背負い込んでしまうことはないでしょうか。
誰かのためにがんばるあまり、自分自身を置き去りにしてしまう。
わたしにも、思い当たることがあります。
そして、たくちゃんの人生を変えるような出来事が起きます。事故。そんなたくちゃんを支えてくれたのが、校長先生でした。
交通事故を経験し、自分の教員人生はもう終わりだと思っていたとき。
病院から出てきたたくちゃんを待っていてくれた校長先生が、声をかけてくれたそうです。
「乗っていくか?」
特別な励ましの言葉でも、立派なアドバイスでもありません。
ただ、そこにいて、声をかけてくれた。
そして、そのさりげない優しさは毎日続きました。
その存在が、たくちゃんを支えました。
「未来の自分を信じてもらう」という経験が、心の支えになった。
誰かが、自分の可能性を信じてくれる。
自分では未来が見えなくなっているときにも、未来の自分を信じてくれる人がいる。
それは、どれほど大きな力になるのでしょう。
そして、たくちゃんは、その経験から受け取ったものを「自己信頼というバトン」と表現しています。
自分を信じる力は、自分ひとりで育てるものとは限らないのですね。
57枚のガラスが割れた学校で
教員としての経験の中で、たくちゃんの生き方を大きく変えた出来事がありました。
学校のガラスが、57枚も割られたのです。
当時、たくちゃんは生徒指導主事、担任、野球部の監督を務めていました。
学校は荒れ、いじめによって転校する生徒も出ていました。
どうにかしなければ。
そう思って必死に取り組んでいたたくちゃんに、ある3年生の女子生徒が言いました。
「先生、もう頑張らなくてもいいです」
この学校は、お父さんの時も、おじいちゃんの時も悪かった。何も変わっていない。だから、自分のことだけ考えて進学に専念する、と。
その言葉を聞いても、たくちゃんはあきらめませんでした。
「わかった……でも、やっぱりわしはあきらめられない。だから見ていてほしい。そして、もし協力してくれそうなことがあったら、そのときは頼む」
全校生徒の前で交わした約束でした。
そこから、たくちゃん自身が変わっていきます。
がんばっているつもりの自分から、本気で取り組む自分へ。
先生方とも本気で向き合い、生徒たちと対話し、空き時間の多くを校内巡視に使いました。
少しずつ、学校が変わり始めました。
たくちゃんは、この経験から「人生は更新できる」という感覚を得たといいます。
過去そのものを変えることはできない。
でも、過去に新しい意味を与えることはできる。
この言葉が、わたしの心に残りました。
今までうまくいかなかったからといって、これからもうまくいかないとは限らない。
今、何かにつまずいているからといって、その人の未来まで決めつけることはできない。
わたしたちは、目の前の人の「今」を見て、その人の未来までわかったような気になっていないでしょうか。
そして、自分自身の未来についても。
「わたしには無理」
「どうせ変われない」
「今さら遅い」
そんな言葉で、自分の可能性を閉じてしまっていないでしょうか。
自己肯定感が63%から94%へ
たくちゃんは、校長として学校づくりに取り組む中で、全校生徒の自己肯定感が63%から94%へと上昇する経験もされています。
そのとき、大切にしていたのは、誰かと比べて優れていると認められることだけではありませんでした。
「昨日の自分より、少しできた」
「自分も変われるかもしれない」
そんな小さな成長を、自分自身で感じられること。
自分でできる小さな習慣を大切にし、言葉を意識し、人との関わり方を変えていく。
靴をそろえること。
あいさつをすること。
日々の言葉を見直すこと。
一見すると、ささやかなことばかりです。
でも、その小さな積み重ねが、自分への信頼につながっていく。
わたしは、ここに《そらのあい》が大切にしたいこととの共通点を感じました。
「本当のわたしを生きる」というのは、何か特別な自分に生まれ変わることではないのかもしれません。
自分が自然にできることに気づく。
自分の小さな変化を認める。
うまくいかない自分も、成長の途中にいる自分も、見捨てない。
そんなふうに、自分との関係を少しずつ育てていくことなのではないでしょうか。
たくちゃんは、誰かに「こう生きれば幸せだ」と答えを与えたいのではないといいます。
その人自身が、自分にとっての答えを見つけることを応援したい。
この姿勢にも、わたしは深く共感しました。
過去を消すのではなく、抱きしめる
たくちゃんは、過去について大切な考えを持っています。
過去を許すだけではなく、過去を意味あることとして抱きしめる。
そこには、後悔も、悩みも、恥ずかしかったことも、感謝もある。
そのすべてを抱きしめることで、過去は「消したいもの」ではなく、誇りある未来をつくるための、自分だけの物語になっていく。
わたしは、この言葉がとても好きです。
わたしたちは、自分の過去をなかったことにしたくなるときがあります。
あんなことをしなければよかった。
あんな自分でなければよかった。
もっと違う生き方ができたのではないか。
でも、過去の自分を切り捨ててしまったら、今ここにいる自分も、どこかで否定してしまうことになるのかもしれません。
うまくできなかった自分も。
人を傷つけてしまった自分も。
必死だった自分も。
本当は助けてほしかった自分も。
そのすべてが、今のわたしにつながっています。
過去の自分に、今の自分が出会い直す。
そして、「あのときも、必死に生きていたんだね」と、そっと抱きしめる。
そうできたとき、過去の意味が少しずつ変わり始めるのかもしれません。
「スキがないステキなお母さん」から自由になる
たくちゃんのお話を聞くうちに、わたしの中に浮かんできたことがありました。娘に自分の一面を打ち明けたことをきっかけに、心が楽になっていったというわたし自身のエピソードでした。
周囲からどう思われるか。
立派なお母さんでいなければ。
スキのない自分でいなければ。
そんな思いから自由になり、自分も娘も心が楽になっていったのです。
人は、誰しもいろいろな面を持っています。
やさしい自分もいれば、意地悪な自分もいる。
勇気のある自分もいれば、怖くて動けない自分もいる。
人を応援できる自分もいれば、うらやましくなってしまう自分もいる。
どちらか一方だけが本当の自分なのではありません。
たくちゃんは、そんな人間の多面性を「エンジェルとデビル」という表現でも話してくださいました。
わたしは、誰かに見せたい自分だけを磨き続けるよりも、見せたくない自分にも気づき、そんな自分と一緒に生きていけることのほうが、ずっと大切なのではないかと思います。
完璧だから愛されるのではない。
何かができるから価値があるのでもない。
うまくできる日も、できない日も。
人にやさしくできる日も、できない日も。
それでも、わたしはわたし。
そんなふうに、自分自身の存在を喜べること。
それもまた、「本当のわたしを生きる」ということなのだと思います。
人を信じるとは?
たくちゃんは、校長先生との出会いや、教員時代のさまざまな経験を振り返りながら、こんな問いを投げかけてくださいました。
「人を信じるとは?」
その意味を、本当の意味で理解するまでに、35年以上の時間がかかったそうです。
人を信じることは、簡単なことではありません。
信じた人に裏切られることもある。
応援しても、思うような結果にならないこともある。
信じた相手が、すぐに変わるとは限らない。
それでも、その人の今だけを見て、未来を決めつけない。
自分にはまだ見えていない可能性が、その人の中にあるかもしれない。
かつて自分の未来を信じてくれた校長先生のように、今度は自分が誰かの未来を信じてみる。
それは、相手を思い通りに変えようとすることとは違います。
その人には、その人の人生がある。
その人自身が答えを見つけ、歩き出す力を持っている。
そう信じて、そばにいることなのかもしれません。
そして、もうひとつ。
人を信じることは、自分自身の可能性を信じることにもつながっているのではないでしょうか。
たくちゃんはそう問いかけたくださいました。
自分をあきらめない灯りを、人から人へ
たくちゃんは、退職後、再任用という道ではなく、「山田匠だからこそできること」に人生の時間を使おうと決めました。
その決断から始まったのが、ARIKATA JAPANです。
成功するための方法を教えることよりも、人としてどう在りたいのかを一緒に考える。
誰かの価値観を自分の人生だと思い込んで生きている人が、立ち止まり、自分自身に問いかける。
「わたしは、本当はどう生きたいんだろう?」
そして、いつか、
「自分のことが好きになれた」
「自分の未来にワクワクする」
「自分のことが愛おしく思えました」
そんな言葉が生まれることを願っているのだそうです。
たくちゃんが目指しているのは、自分ひとりが誰かを応援し続ける世界ではありません。
自分が受け取った灯りを、今度は誰かに手渡す。
その人がまた、別の誰かに手渡していく。
そんな循環です。
「だいじょうぶ!笑顔でつなぐ おうえんだん。」
それが、たくちゃんの生き方であり、ARIKATA JAPANの原点なのだといいます。
わたしは、このお話を聴きながら、《そらのあい》もまた、そんな場所でありたいと思いました。
誰かが誰かを一方的に救う場所ではなく。
誰かが正解を教え、誰かがそれに従う場所でもなく。
それぞれが自分自身の中にある光に気づき、その光を持ち寄れる場所。
自分のことを、少し好きになれる場所。
誰かと出会うことで、自分では気づかなかった自分のよさを発見できる場所。
そして、そこで受け取ったあたたかさを、また別の誰かへと手渡していける場所。
そんな《そらのあい》を、みなさんと一緒につくっていきたいと思います。
あなたは、どう在りたいですか?
たくちゃんのお話を聴いて、わたし自身にも問いが生まれました。
わたしは、誰の期待に応えようとしているのだろう。
何を恐れて、自分の可能性を小さくしているのだろう。
そして、本当は、どんな自分で生きていきたいのだろう。
誰かに認められるためだけではなく。
誰かと比べて優れていると証明するためでもなく。
自分が自分であることを、うれしく思える生き方。
誰かの喜びを、自分の喜びとして感じられる生き方。
うまくいかない自分も、まだ途中にいる自分も、あきらめずに歩いていける生き方。
そんな生き方を、わたしも探し続けたいと思います。
そして、もし今、自分を信じられなくなっている人がいたら。
どうか、今の自分だけを見て、未来を決めつけないでください。
あなたの中には、まだ出会っていないあなたがいるかもしれません。
誰かとの出会いが、その可能性を教えてくれるかもしれません。
今日できなかったことが、明日できるようになるかもしれません。
今は見えない未来に、思いがけない喜びが待っているかもしれません。
だいじょうぶ。
自分を信じられない日があってもいい。
そんなときは、あなたの未来を信じてくれる誰かの力を借りてもいいのです。
そして、いつか少しだけ自分を信じられるようになったら、その灯りを、また誰かに手渡してみませんか。
自分をあきらめない灯りを、人から人へ。
たくちゃん、心に残るお話をありがとうございました。
そして、この記事を読んでくださったあなたにも、ありがとう。
あなたがあなた自身のことを、少しでも愛おしく思えるようになりますように。
うれしく、たのしく、すこやかに。
《そらのあい》から、愛をこめて。
せーにゃ SEÑA ♡
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