
【 わかろうとすること 】
私は以前、
「自分を変えたい」 と思っていました。
もっと強くなりたい。
もっと前向きになりたい。
もっと迷わない人になりたい。
そう思って、たくさんの本を読みました。
たくさんの人の話を聞きました。
「こうすれば成功する」
「こう考えれば幸せになれる」
そんな言葉を探していました。
でも、不思議でした。
方法は増えていくのに、
心の奥にある何かは、
なかなか変わりませんでした。
今思うと、
私に必要だったのは、
新しい方法ではなく、
自分自身に向き合う姿勢だったのかもしれません。
「わかろうとする」
という姿勢です。
私は、人のことを簡単にわかった気になりたくありません。
なぜなら、
人はそんなに簡単にわかる存在ではないと思うからです。
ましてや、
自分自身のことさえ、
全部わかっているわけではありません。
教師だった頃、
忘れられない出来事があります。
中学3年生の男子生徒。
その日はイライラしていました。
授業中、貧乏揺すりをし、
プリントを放り投げ、
教室を出ていきました。
追いかけた私は、
正直、腹が立っていました。
理由を聞こうとした時、
彼は私を払いのけようとしました。
そして、私に向かって叫びました。
「先生は、わしのこと何もわかってないくせに!」
一瞬、
「わかってるぞ」
と言おうと思いました。
教師として、彼を理解している姿を見せたかったのかもしれません。
でも、違う言葉が出ました。
「お前のことや、わかってたまるか。」
「でもな、わかろうとしてることは、わかれよ。」
すると彼は、
少し間を置いて言いました。
「それはわかってる。」
私は言いました。
「それがわかっているなら、それでいい。」
そして二人で教室に戻りました。
後になって思いました。
人は、
「わかってもらえた」
と感じた時よりも、
「わかろうとしてもらえた」
と感じた時に、心を開くのかもしれません。
これは、人との関係だけではないのかもしれません。
自分自身に対しても。
私はずっと、
傷を消そうとしていました。
失敗を忘れようとしていました。
弱い自分を見せないようにしていました。
でも、今なら少し違う見方ができます。
あの傷も。
あの失敗も。
あの時の苦しさも。
本当は敵ではなかったのかもしれません。
「ここにいるよ。」
「本当の自分を置いていくな。」
そう伝え続けていた、
もう一人の自分だったのかもしれません。
自己信頼とは、
「私は大丈夫」
と思い込むことではないと思います。
何があっても、
完璧ではない自分と一緒に歩いていくこと。
まだわからない自分を、
わかろうとし続けること。
それが、
自分を置いていかないということなのかもしれません。
私は今、
過去の自分たちを迎えに行っています。
傷ついた自分。
迷った自分。
失敗した自分。
そして、
支えてくれた人たち。
人生とは、
一人で前へ進む旅ではなく、
少しずつ仲間を増やしていく旅なのかもしれません。
私は、人を変えたいわけではありません。
その人の中に、
まだ出会っていない自分がいることを、
一緒に信じたい。
そして、いつかその人自身が、
その自分を迎えに行くことができたら。
そんな静かなノックを、
これからも続けていきたいと思います。