人を「ボール」判定にしない

夏になると思い出すことがある。

娘が3歳くらいの頃。玄関先に小さな円形のプールを作った。

娘は大喜びで遊んでいたけれど、一人娘だったから、一緒に遊ぶ相手がいなかった。

「お姉ちゃんが欲しい」

そう言っていた娘が、その日、「お父さんも入って」と言った。

私は私服だった。

一瞬迷ったけれど、そのまま服を着たままプールに入った。

娘は大喜び。

二人で水を掛け合った。たったそれだけのことなのに、今でも覚えている。

部活動で土日もなく働いていた頃。

家に帰ると、娘が喜んで迎えてくれる。

嬉しかった。でも同時に、「遊んであげられなくてごめんな」という気持ちもあった。

だから、夕方から動物園に連れて行ったことがある。

閉園まであと1時間。

ほとんど人がいない動物園を、娘と二人で歩いた。

何を話したのかは覚えていない。

でも、 幸せだったことだけは覚えている。

娘が犬を飼いたいと言い出したこともあった。

でも、散歩も餌やりも、いつの間にか私の役目になっていた。

ある日、「散歩に連れて行ってあげないの?」と聞くと、

「どうでもいい」という返事。

私は犬の首輪を外した。

犬は走って逃げていった。

娘は大泣きした。

私は、

「相手にもされず、大事にされていない人に飼われるよりはいい」と言った。

その犬は10分ほどして戻ってきた。

それから娘は、その犬を大事にするようになった。

今思えば、私は娘に何かを教えようとしていたわけではない。

ただ、私がそうしたかった。

そのときの自分の感覚に従っただけだった。

小学校6年生の頃、友達との帰り道で、嫌な思いをしたことがある。

いつもの仲間に追いつこうと走っていったら、私が近づくたびに、3人が面白がって逃げていった。

何度か繰り返されて、

「そういうことか……」 と気づいた。 腹が立った。

それまで毎日のように遊んでいたけれど、その日から遊ばなくなった。

翌日、一人が、

「昨日はごめん。特に理由はなかったんだけど、なんとなく……」 と謝ってきた。

その子だけは許した。

他の二人には、自分から折れるつもりはなかった。

今思えば、大した出来事ではないのかもしれない。

でも私は、人を「遊び」の名目で傷つけることが、すごく嫌いになった。

ところが、そんな自分も高校生になると、まったく違うことをしていた。

自分に自信がなかった。

そんな自分を隠したかった。

周りに合わせることが癖になり、「そうやな」と笑ってしまう。

そして、

「わし、本当はどう思ってる?」

と、自分の感覚を聞きに行かなくなっていった。

その頃、経済的に余裕のある同級生がいて、よく食べ物をおごってくれた。

いつの間にか、私の方から買ってほしいとせがむようになった。

ある日、その友達から、

「僕にたかっているだけだよね」と言われた。

そのとき私は、自分を恥じた。

でも、小学校6年生のときのように、相手に向き合うことができなかった。

そのまま距離ができてしまった。

今でも恥ずかしい。

でも、今はその頃の自分を、「あんな自分だったからダメだった」とは思わない。

あんな自分がいたからこそ、

人は変われる ということも分かる。

そして教師になった。

ある日、遅刻してきた女の子がいた。

当然、私は叱った。

でも、その子は叱られながら笑っていた。

普通なら、

「反省していない」

「ふざけている」 と思うのかもしれない。

でも、私は、「なんで、この子は笑ってるんだろう?」と思った。

そのときからだったと思う。

人を見るとき、

目の前に見えているものだけで、その人を決めつけなくなった。

笑っているから、ふざけているとは限らない。

反抗しているから、悪い子とは限らない。

「この人はこういう人だ」と決めた瞬間に、

その人のまだ見えていない部分を、自分から閉じてしまう。

振り返ってみると、

この「ストライクゾーンの広さ」は、教師として私の武器になったかも。

もちろん、現役の頃はそんなことを考えていたわけではない。

ただ、

「ここは合わないな」 と思っても、

「でも、この人の全部がこれじゃない」 と思えた。

だから、

その場面には線を引いても、

人そのものには線を引かない。

そんな見方が、少しずつできるようになっていった。

私は、人を変えようとしてきたのではないのかもしれない。

ただ、

「わしは、こうしたい」

と思ったことを、やってきただけなのかもしれない。

7歳の頃もそうだった。

教師になってからも、きっとそうだった。

人を一面だけで決めつけないように。

自分の感覚も置いていかないように。

相手と違っても、

「なるほど。そういう見方もあるんやな」

と、一度受け止めてみよう。

そんなふうに人と出会える自分でいたい。

今日の一言

人は、見えている一面だけでは分からない。

だから私は、簡単に「ボール」判定にしたくない。