自分を置いていかない

最近、昔の自分のことをよく思い出します。

不思議なんです。

「思い出そう」と頭で考えているわけじゃない。

ふっと何かが浮かんでくる。

そして、気がつけば指が動いている。

今日も、そんなふうに書いています。

僕は昔から、周りの人の意見に合わせることができる人間でした。

誰かに何かを言われる。

「そうやな」

と笑顔をつくる。

その場はうまく収まる。

でも、そのあと、

「わし、本当はどう思ってるんやろ?」

と、自分のところへ聞きに行かない。

それが、いつの間にか当たり前になっていました。

高校生くらいからは、それが反射的になっていた気がします。

自分を隠す。

ごまかす。

そして、そんな自分がだんだん嫌になっていく。

でも、7歳の頃の僕は違いました。

「かわいそうや」

そう思ったら、朝の会より、動物を埋めることを選んだ。

「書きたくない」

と思ったら、

「詩は書かされるもんと違います!」

と言った。

今思えば、ずいぶん生意気な子どもです(笑)。

でも、

自分の感覚を置いていなかった。

中学に入ってからも、しばらくはそんな自分が残っていました。

でも、少しずつ自分を隠すことを覚えていった。

そして、交通事故。

人生を大きく揺さぶられる出来事がありました。

今振り返ると、あの頃が、

第2章の山田との決別。
第3章の始まりのゴング。

だったのかもしれません。

その後、初任者として赴任した学校は、決して穏やかな環境ではありませんでした。

赴任して間もない頃から、保護者や生徒との間で、僕一人では抱えきれないような出来事が次々と起こりました。

そこで初めて、

「いい加減な自分では、この人たちと向き合えない」

と、本気で思ったんです。

事故の後、

「病気になるくらい頑張ろう」

と思っていた。

でも、もしあの学校でなかったら、そのまま周りに流されていたかもしれない。

あの環境が、僕の中にあった「本気スイッチ」を入れてくれた。

今振り返ると、そんな気がします。

僕の人生は、振れ幅が大きかったのかもしれません。

だから、時間もかかった。

でも最近は、

「時間がかかった」のではなく、
「時間をかける必要がある人生だった」

のかもしれないと思っています。

山道に、所々お地蔵さんがいるように。

過去の僕も、きっとそこにいる。

落ち葉に埋もれていることもある。

僕がそばを通っても、気づかないこともある。

でも、ある日、

風が吹いて落ち葉が飛んでいく。

「あれ?」

そこに、お地蔵さんがいる。

「えっ! こんなところにおったん?」

出会うかどうかは、自分で決めるものじゃない。

縁みたいなものなのかもしれません。

だから、出会ったら、

「来ました。」

それだけ。

そして、今の僕には、もう一人いる。

あの生意気な7歳の僕です(笑)。

そいつに今の僕を見せたら、

「惜しかったな!」

「お前、もうちょっと出世したかもしれんけどな。」

「でも、その代わり……まあまあ深みが出てきたな。」

なんて言いそうです(笑)。

でも、そんな7歳の僕が自分の中にいると思うと、なんだか頼もしい。

誰かに何かを言われたとき、

「そうやな」

と合わせることはあってもいい。

でも、そのあとに一度、

「わし、本当はどう思ってる?」

と、自分のところへ帰ってくる。

それが、

「自分を置いていかない」

ということなのかもしれません。

もし今、

「自分は、どう生きたいんだろう」

「周りに合わせるのではなく、自分の人生を生きたい」

そんなふうに感じている方がいたら。

僕と一緒に、少しだけ立ち止まって、

「自分は、本当はどう思ってる?」

と、自分に聞いてみませんか?

そんな問いを、半年間かけて一緒に探していくのが「匠塾」です。

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そんな方も、まずは説明会で話を聞いてみてください。

もしかしたら、あなたの中のお地蔵さんが、
ひょっこり顔を出すかもしれません。

自分を置いていかない。

その一歩を、一緒に。